| 語りその4 ネズミーシーは朝焼けの夢を見るか |
| こないだ東京ネズミーシーというところに行きまして、直感的に「夢ザナルは巨大テーマパークだ!」という神おろしが来ました。似てるじゃないですか。嘘夢と嘘ドリームは。あの空間って、日常の全てをゲートの外に置いてくるじゃないですか。つくりもののハリボテでできているお約束の地に押し掛けて鼠の耳などかぶりながらみな幸せそうな夢をみておるじゃないすか。 ・・・興奮して序盤から語っています。すみません。よ、よろしいすか、ね? 夢ザナルカンドはどうやら現実の1000年前のザナルカンドとは違うらしい。シーモア様の館で「異界の死者の想いから抽出したスフィア」なるものを見せられていましたが、いま考えたら、あれ、別に1000年前のリアルザナルカンドとは限りませんね。ガガゼドの祈り子だって死人ですから、祈り子の夢の記録かもしれんです。 ま、それは置いておくとしても、例のベベルとザナルカンドの戦争、バハムの祈り子の言葉によれば「機械化されたベベルの軍隊にザナルカンドの召喚士達は次々と倒れていった」ザナルには少なくても召喚士軍団があったわけで、その辺をティーダが知らないということは、夢の中では微妙にゆがめられているわけです。戦争の記憶は無くなり召喚士は存在せずマモノは遠い存在。そして毎日ブリッツに熱狂するわけですな。うん、天国ですな。 ですから毎日死ぬだの殺すだののスピラから来た後見人の心境はいかばかりかと思うわけです。彼にとってはザナルは彼が生涯をついやしてあらがってきたすべてのことが「無い」わけで・・・。 例えて言えば、アフガンあたりから難民してきて、ネズミーランドに来て、ネズミの耳つけた日本人が「やっぱりエスニック料理はうまいねえ」などと言っているのを見たり聞いたりしていたら、「お前ら殺ス」と殺意すら覚えかねない・・・例えが微妙にわけわからんな・・・ともかく、ものすごいジレンマに陥ったのではないか、というのが私の推測でして。 どんなにそこで時を過ごしても、彼は夢ザナルでは永遠に「異邦人」のままだったのではないでしょうか。 だけど、夢で生まれ夢を生きている子犬君にとっては、その世界こそが「現実」であることに変わりはないのです。同じ世界を見ていて、後見人にとって「嘘」。子犬にとってはそれはまぎれもない「真実」。だから子犬君が夢ザナルにいる間は、後見人は理解不能な存在だったんだろうな。だけど、スピラに来て旅をして後見人の生きてきた世界を見ることで変わらざるを得なくなる・・・一種の「生まれなおし」。 ベベルの鳥かごの中で、「スピラって死んだり殺されたりばっかりだよな」とつぶやくあたりから少しずつ後見人の生きてきた世界というものが「わかって」きたのかなと。 人と人は互いを永遠に理解不能で、しかしながらすりあわせてみてふと通じたりするから・・・惚れあうんだろうなあ。と、ついつい腐女子モードで妄想してしまったりして。 ゲームの演出のせいもあるんでしょうが・・・死骸が散乱しているのにスピラの死は妙に濃い。逆にザナルのティーダ母なんか淡雪のように消えてしまっている。スピラの死は「刻まれる」死でザナルの死は「忘れられる」死、あくまで個人的な直感ですが。 ネズミーだって、あれだけ人がぞろぞろおれば、年間ひとりくらい心臓発作おこして亡くなっていたっておかしくはないわけです。それが表に出てこない世界。だから似てるっちゅうねん。 またまた語ってしまいましたが、スピラが好き、というだけなんです。お目こぼしください。それから、「どぼん」で「夕日の見える俺の家」って書いてしまいまったのを今気がついて、しまったああああっと思っているんですが、子犬の家は湾だから、きっと朝日も夕日も見えるんだよってことで、こっちもお目こぼしください。 |
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