語りその5 もしかしたら『主人公』は子犬ではないのかもしれない


10年前のこと語ってもよろしいですかな?(笑)

ある人からのメールで、こんな問いに出会ったんです。
なぜティーダでなければならなかったのですか?なぜジェクトと親子二代で夢から?
「これはお前の物語だ」
後見人に首根っこつかまれながら子犬は宣言されるんですが、なぜ子犬でなければならなかったのか?なぜ子犬は「親殺し」をしなければならなかった?

それで、考え直してみたんです。10年前の「シン」(たぶんヨンクン様のガードである・・・ザナルカンド遺跡でちょろっと出てくるあの女性僧兵ですよね)に、海でブリッツの練習していた父ちゃんは遭遇し、そしてスピラに連れてこられた。(本来シンの中にあるザナルカンドにシンが現れる、というのが「頭の上にできた池に飛び込む男」の古典落語話みたいで、面白いでし)
ティーダはジェクトに「呼ばれ」たが、ジェクトは誰にも「呼ばれ」ていない。そこで閃いたのですが、もしかしたら、祈り子がシンと対峙して欲しかった”主人公”はお父ちゃんの方かもしれないな、と思ったんですよ。自分は特別だと思い続けて、天才でありつづけて、そんなジェクトが、もしかしたら「選ばれしもの」だったかもしれないって。必然性でもってシンの中からスピラに生み出されたのはお父ちゃんの方だって。


究極召喚の贄となり、彼もまたスピラの死の螺旋に取り込まれてしまったかのように見える。
でも、ジェクトは「シン」と成り果ててもあきらめていない。破壊の化身となり自我も消え失せようとしながら息子を呼ぶ。呼び寄せたのはジェクトで・・・間接的にスピラを救ったのはやはりジェクトということになる。

お父ちゃんはね、すごい人です。ラストバトルで「・・・もう声は聞こえない・・・」っていうあたり子犬にシンクロして泣きながら「早く楽になれよっ」て感じでプレイしていました。この楽天的で粗野でいいかげんな男、死の匂い充満するスピラの中では異質で、”太陽”のような男。(実は、子犬とお父ちゃんはそっくりさんな性格だと思う)さぞかし若後見人あたりは振り回され、さしものカタブツも意識の根底からガラガラと崩れながら変わらざるを得なかっただろうな。あの親父スフィア雷平原での「撮ったぞ!」してやったりの笑い声など拝聴すると、普段後見人がどれくらいキレていたか、図れるというもので・・・。カタブツアーロンがザナルカンド暮らしに耐えられたのも、エボンの教えにとらわれずさっさとスノーモビル運転するような柔軟な人間になったのも、ジェクトパワーが大きいんじゃないでしょうか。(まあ、この辺はネットのみなさまが二次創作でいろいろ補完されておりますことですし)

ワタクシの友人が、ちょいと気になる説を唱えましてね。「ジェクトが居なくなって、奥さん死んじゃったように、たぶん、ティーダも消える運命だったんだよ。ジェクト一家ってね、「一家」で一セットだったんだよ。その中から構成要因であるジェクトが居なくなったら、必然的に妻も、息子も、消える運命だったんじゃないかな。奥さん、「寂しくて」死んじゃったじゃない。だから、本当ならティーダは消える運命だったんだよ。ただ、ティーダ、アーロンが居たから消えなかったんじゃないかな。」
となると、後見人がシンから子犬を連れ出した経緯は子犬の命引き延ばし作戦になるわけでして、腐女子なワタクシの心はその考えにおそろしくすがりつきたくなるのです。

なんか、こう書いたものを振り返ると子犬が主人公じゃなくて二番手みたいな書き方の文章でヤなんですが、でも、お父ちゃんも子犬も後見人もみんなみんな愛してるんだ、ということでご容赦ください。ちゃんと物語を終わらせたのは子犬なんです。

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