| シャドウ |
| ザナルカンドは死者の街だ。死んだ祈り子の見る夢が泡沫のように息づいている。そこで、・・・会えた。 記憶がさだかではない。 自分はあの冷たい雪山で最期の一息を吐き出したはずだ。 ぼんやりと覚えているのはシン。巨大な頭に蠢く無数の目が彼を見下ろす。闇に沈んでいく。シンのどこか懐かしい目は彼方に遠のいていく。 気づけば機械仕掛けの都市にいた。あの男が懐かしげに話していた千年前の都市。明け暮れのない街。魔物も召喚士も遠い世界。彼は彷徨い、とまどう。豊かな水の都。死の匂いの無い楽園。なにかが違っていると感覚は訴え続ける。あるべきものがかけおちている。ずれはきしりをあげつづけ。 考える先は果てがなかった。 海際の風はじっとりと冷たい。風が袂を吹き抜けるたび無くしたはずの左手の傷がしくりと痛みを取り戻す。痛みを取り戻した・・・気がするだけかもしれない。もはやこの身が想いでしか存在しえないものであれば。 波止めの上をアーロンは歩き続ける。弔いの花を持ち、歩き続ける。ジェクトはもういない。もはや”人”ではない。だからこれは弔いなのだ。そのことを確かめるために、己に刻みつけるために、アーロンは花を手向ける。 スピラの水葬で幾度もそうしたように、波間に投げ入れた。 ジェクトの”死”がいつだったか、もう彼にはわからない。暦も何もかも違うから見当もつかない。そうでなくても、あの冷たい地の果てで、時間は澱のようによどんでいた。ただ季節は8度ばかり目巡り、”あの時”がひどく遠いことに思われる。 時間とは酷いものだ。波間にたゆたう白い花弁を見下ろしながらアーロンは微かに笑う。 あれを絶望と呼ぶのは間違っていた。あれほどにあがいたのは『希望』の残り滓のせいだ。あの時、悲しみは少しも自分の身体になじんでいなかった。絶望はこの街に居着いてからゆるゆるとやってきた。大河の冷たい水に沈む岩のように、悲しみは彼の心の中に落ちて、静かに根をはり続けた。 長い歳月をかけて沈積したこの静かな感情を絶望と呼ぶことにようやく気づいた。螺旋のただ中にアーロンはいて、身動きのとれぬほど深みに沈んでいるのだ。 空はまだばら色の光を残していたがザナルカンドの灯りはもう煌々と水面に照り映えて揺れている。まるで夜を消してしまおうとでもするかのように早々と灯火をともしている。しばらくアーロンはその明かりを見つめていた。 この街はなじまない。ここは嘘の街だ。なぜならジェクトもブラスカもいないからだ。死体が沈んでいるのに匂わない。悲鳴をあげているのに聞こえない。このままでは自分も石になる。あのことが無いことになる。 時々彼は夢想する。この足の下に瓦礫を。風の中に斬るような吹雪を。だが目を開ければそこは変わらぬ繁栄を歌い続ける街があるばかりだ。 だから消えてしまっていてもよかったのだ。ただ、約束だけがアーロンを縛った。探し当てたジェクトの息子は衰弱した母親のそばにいた。大きな目をいっぱいに開けたまま口を引き結んでいた。固い顔で自分をにらんでいた子供は、ある時、ふいに、雨あがりの日溜まりのように笑った。その笑顔に、二重に縛られた。 存在することを赦された。そんな気がしたのだ。 街は影のように希薄で、守るという約束と守る物だけが鮮やかに存在感を保っている。子供など苦手だと思っていた。だが胸元にもぐり込む温もりはひどく愛おしく、己の冷たさを忘れさせる。いつしか彼は二律背反を抱え続けることになる。この街を厭わしいという想いと、このまま温もりを抱いていたいという想いと。 長椅子に身体をあずけて寝ているティーダは夜の匂いをつけていた。酒と煙草と香水のどことなくいかがわしい匂い。近づくと薄目を開けた。 『なにを荒れている』 『なんで?』 とろりと夢の向こう側にいるような声でティーダは答える。 『朝帰りなんて普通っスよ』 けだるそうに前髪をかき上げながらの上目遣いが艶を含んでいて、目のやりばに困った。こんな子供にもたしかに街の毒が回っていて、何もかも軽く滑っていく。 『なんだよ文句ある?』 『別に』 子供は眉をひそめる。火照る額から頬を何度も手のひらで押さえる。自分を愛撫しているようにも見える、いつもより緩慢な動作。 たまらず、背を向けた。 『・・・いいよ』 養い子のつぶやく声が追ってくる。 『・・・親でもなんでも・ね・・・し』 子供はいつまでも子供のままではない。死人の自分が時を刻む間に彼を縛り続けた笑顔は別の意味を持つ。なぜ乾かなければいけない。自問する。虚ろな想いの固まりが今の自分ではないのか。それがまるで己が生きているように錯覚する、我欲ではないか。ただ生きている証が欲しいだけではないか。あさましい。滑稽だ。情を殺し口を縫い耳をふさぎ。だが離れれば離れるほど子供はすり寄り、愛して欲しいと泣いてしがみつく、それは、ずっと、昔から。拳で胸を打ちながら叫ぶのを突き放し逃げてきた。・・・逃げた。放り出してきた。 泣き声が止まらない。 夜の空をネオンが薄く照らす。偽物の街がともす偽物の灯り。だが水面に揺れる街の明かりは背筋が凍るほど美しかった。 想いを囲う鎧が溶け崩れ始めているのを彼は自覚している。終わりも見えず、出口も見えず、逃げられもせず、その感情には諦念という名前がつくのかもしれない。流されて彼は戻るのだ。彼を縛るただ一つの約束の元に。泣く子供をなだめるために。影のような街の中でただ一つ確かな。 |
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