死出の旅

 30数年は長生きした方だ。息のとまった無数の赤子の屍を私は踏んでいる。シンは親を殺し、友を殺し、そうして最後に妻を殺した。スピラの悲しみを癒すことを求めたのに、結局私も悲しみの中にとらわれてしまった。
おぼつかない足取りで私の懐に入ってくる娘だけが守りたいものだった。
 ベベルの繁栄の影にただよう色濃い死の匂いを嗅ぎながら、私はこの街がくずれ落ちる幻想をまぶたにうかべる。死を受け入れ死と共寝する街。シンがおとずれれば易々と滅びを受け入れるだろう街。
 短いナギ節。ほんの数年、あの子が大きくなるまででいい。
 
 美しい夕日が血のように赤く海を染めている。子供のころ、シンに初めて対峙した時もこんな色をしていた。
 多くの召還士が命を投げ出す理由はこの美しいスピラのためかもしれない。それほどまでに私は世界を愛せない。世界は残酷でぬくもりは小さい。
 「そうだね・・・秋には行けるよ」
 私は傍らにいる私のガードに話しかける。
 「ユウナの誕生日が過ぎたらいこう。誰にもないしょでね」
 アーロンは黙ってうなずく。
 「本当は今すぐにでも旅立った方がいいのだろうけれどね」
 「無理もないです」
 波の音が静かに繰り返す。
 私はこの青年に謝らなければならない。
 「すまない」
 「なにをあやまっておいでです」
 「ベベルに残れば君の人生は開ける」
 あたりまえのことです、と彼は笑った。シンを倒す召還士に付き従うのはすべてのガードが望むことです。 
 彼はそういうと私を見つめる。時々私はたじろぐのだ。その強い信頼の波動に。彼が私に多くを望みすぎるゆえに。  
 「私はそれほど強い人間じゃない。多くの召還士がそうしたように、最期の瞬間に逃げ出すかもしれない」
 黒い瞳に狂おしいほどの決意が浮かぶ。
 「支えます」
 アーロンは私に恋をしている。私はそれを哀れに思う。
 
 妻が死んでからユウナと二人きりの家。アーロンの姿を見つけてユウナがかけよってくる。最初は怖がっていたが、いまでは肩の上が気に入りの場所だ。
当のアーロンはこっそりと子供は苦手だともらしていたのを思い出し、私はくすりと笑う。アーロンの腕からおりたユウナは私のところへかけてくる。
こぼれるような笑顔。半年前母親を亡くした時泣き濡れていた面影はない。子供とはなんと強いものか。
 「おばさんがお父さんのこと、えらいっていってたよ」
 目を輝かせて私に話しかける。
 「シンはつよいの」
 この子はシンをまだ見たことがない。
 「ああ、つよい」
 「でも、お父さんの方が強いね」
 私はうなずく。
 ユウナは手を後ろに組んでくるりとまわる。
 「あたし、お父さんみたいなしょうかんしになる」
 ユウナの口からその言葉を聞いた時に、心臓をつきさされるような痛みで凍り付く。
 

 本当に愛おしいものはわずかだ。
 我が身だけではなくそれは明日には簡単に失われるかもしれない。
 
 
 夜がふけて、私は寝床から抜け出し廊下を静かに渡る。小さな灯りをともしたままアーロンは眠っていた。きしみをあげないようにそっと寝台に腰掛ける。薄闇にかすかに浮かぶ精悍な顔を私はしばらく見ていた。
 ずっと縛めていた。
 彼と情を交わすことは、死に逝く私はしてはならないことだと。
 私は、弱い。
 「アーロン」
 かすかに彼の寝息が乱れる。私は手を伸ばす。彼に触れる。鴉のような黒髪をすいて頬をなでる。彼の上にかぶさり、口をついばむ。
  彼が跳ね起きる。
 「ブラスカ様・・・」
 私はかまわず腕を彼の背にまわす。
 「やめてください」
 「なぜだ、君はずっとこうしたかった」
 舌をからめ、彼の上顎をなぞりながら彼の体を愛撫する。アーロンの手が私を突きのけようとする。
 「あなたはこんなことをしてはいけない」
 そっと私は笑う。こんな愛撫ができる者が綺麗なままだと信じている。アーロンの純粋さが愛おしかった。
 「アーロン」
 彼の上にかぶさったまま耳にささやく。彼の広い背に腕をまわす。
 「アーロン」 
 腕の中の体が震えた。
 「私のわがままを聞いてくれ。君が、欲しい」
 石のように固い頬に唇をすべらせて私はもう一度押しつけるだけの口づけをする。
 アーロンの腕があがる。後ろ髪に手が差し込まれそのまま深く貪るように求められて、私は歓喜の中にいる。
 互いの服を引き剥ぎ、肌を重ね合い、狂ったように求め合う。彼の欲望に貫かれながら彼の名を呼び続ける。
  


 この快楽と共に君を覚えておきたい。


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