21歳

Cはニブルヘイム事件の後、しばらく私のサンプルとして捕らえられていた。

Zとともに拾った時は重傷であり、当時の状況の尋問にはその傷の回復を待たなければならなかった。重傷の彼にジェノバ細胞を注入したおかげで治癒したとの説もあるが、真実がどうだったかは想像にまかせよう。

Cはジェノバに過剰に同調したためセフィロス・コピーとしては失敗作であると判断した。失敗作なのになぜ生かしていたのかと問われると説明に困る。たぶん・・・この弱々しい子供がガストの最高傑作であるセフィロスを殺したという事実を私は信じられなかったようだ。不可思議なものに対して私はどこまでも執着する傾向がある。

Cが逃げ出したのはいつごろだろう。かなり早い時期に逃げ出した(事件後1年以内)という者もいれば、5年間近く実験材料として捕らえられており、ニブルの娘と7番街の駅で会った時は、Zの処理がすんだ直後だった、と考える者もいる。神羅屋敷の地下実験がC、Zの傷の回復、尋問がすんでから行われただろうこと。実験にはジェノバ細胞が根付くまで長期の時間が必要だったこと。ニブルヘイムからミッドガルまでの逃避行が困難を極めたということから、この逃避行が1ヶ月や2ヶ月ではすまなかっただろうということ。このようなことを考えると、5年という歳月は長すぎはしないと思われる。

Cがミッドガルにたどりついてから「何でも屋」を開業していたかは不明。私の考えでは、ニブルの娘と駅で会った直後に人格の統合(Zの模倣とCの記憶の融合)が行われているように見えるので、その時点以前は廃人同様だったと考えている。